Rewrite.AI Home About Characters Episode Downdolads ep.2 "Irregular"

―中―

 

 

「は?ヒューマノイドの客?」

予想外な話に、"Z"は眉をひそめた。

半分車を降りかけていた"スカル"が「誰だ?」と視線で問いかけてきたので、声には出さず口の動きだけで「"ニケ"から」と答える。着信画面に表示されたのが、滅多に見ることのない"グラディス"の自宅の番号だったので、何事だ、と"スカル"に断りを入れることなく即電話に出てしまったのだ。

「あ、っと、俺だけ聞いても仕方ないな。スピーカーにしていいか?」

『いいよ、あたしもあんまり長く出てられないし』

"ニケ"の同意も得たので、"Z"は目線で"スカル"に合図した。が、後で説明を聞くよりは話が早い、と"スカル"も思ったのだろう、合図する前から、開きかけのドアを閉じ、再びシートに腰を下ろしていた。

「で?どんな客だ?」

『14、5歳位の、男の子。髪はブラウンで、体に合わないダブダブのコート着てる。今のところ同行者なし。相当な高級品じゃないかな、"グラディス"やナイルは人間と見間違えたみたい』

「マーカーは?」

『それが問題。わざと隠してる』

「ない、じゃなくて、隠してる、か。意味深だなオイ」

"スカル"の言うとおり、確かに意味深だ。マーカーなし、ということなら、元から違反品ということに他ならないが、あるのに隠している、となると、隠す「理由」が何かある筈だ。そしてそれが、オーナーの命令なのか否か、という点も非常に重要になる。

「隠してる、ってどうしてわかった?」

『一瞬、見えたんだよね。手首よりちょい上に。サイズの合わないコートを着てるのも、あれを隠すためなんだと思う』

「ふーん……オーナーの命令でやってる感じではなさそうだな」

オーナーが意図的に人間のフリをさせているのなら、不自然に思われないサイズの服を着せた上でマーカーを隠す筈だ。ヒューマノイドだとバレてはまずい状況に追い込まれたため、咄嗟の判断でサイズ違いのコート(恐らくはオーナーのものだろう)を羽織った、というのが、あり得そうな線だ。

『どう思う?昨日のサーバー攻撃と、何か関係あるかな』

「アイザックの情報が欲しい、マーカーを隠したヒューマノイド、か……無くはないけど、もしそうなら、相当ヤバイ状況にある奴だろうな」

「ははーん、なるほど。最悪、何かをしでかして追われてるって可能性もありそうだな。それなら、アイザックにご執心なのも無理ねーわ」

なにせ、「しでかした」という点では偉大なる先達だからな―――というセリフは、"スカル"が口に出すまでもなく、"Z"も"ニケ"もわかっている。というより、その件については、2人も当事者だ。一瞬、苦い思い出が蘇ってきた。

『店に害を及ぼす気なさそうなら、泳がせて尾行するって手もあるけど』

「……いや。マーカー隠したまま外をうろつかれる方がまずいかもしれない。いっそこっちから話を振った方がいいかもな。ただし、昨日の件はいきなり振るなよ」

『わかった。2人は今から現場でしょ』

「ああ。多分、そんなに時間食わないと思う」

だろ?という目で"スカル"を見ると、"スカル"も頷いた。

「ポンコツになったアンドロイド1台、メーカーが回収に来る前にオーナーと本体に会って調査しろ、っていう簡単なお仕事だからな」

『……何それ。ほとんど"Z"の本業ネタなのに、なんで"ルーサー"は"スカル"を同行させた訳?』

「俺に訊くなよ。何かメーカー的にヤバイ事情があって、回収に必死になってるらしいから、メーカー側とドンパチ始まる可能性考えて、あえての"保険"じゃねーの?」

『怪しいなぁ……気をつけた方がいいよ。あの親父の言うことは、信用ならないんだから』

"ニケ"の"ルーサー"に対する不信感は相変わらずだ。まあ、"ニケ"は表に出しているだけであって、本当に"ルーサー"を信用していないのは、むしろ"Z"の方なのだが―――今日の件も、裏に何かありそうな気はしている。わざわざ"ニケ"を同行させないよう"スカル"に釘を刺したあたり、実に怪しい。

「ま、裏があるだろうってのも込みで現場に乗り込むから、心配するなって。それより、そのヒューマノイド、俺達が帰るまで絶対押さえとけよ。最悪、逃げられても後から捕捉できるようにしといて欲しい」

『任せて。何かあったらメッセージ入れとく』

そう言って、"ニケ"は返事を待たずに電話を切った。時間を確認すると、着信から電話を切るまで、4分30秒程度だった。

「さすが、徹底してんな」

「三つ子の魂百まで、って言うからな」

業務連絡は5分以内、というのは、"ニケ"が古巣で叩きこまれたルールだ。"ニケ"とは何度もこうした場面で連絡を取り合ってきたが、彼女が5分を超えて話したことは一度もない。改めて確認したことはないが、多分"スカル"に対しても同じなのだろう。他の事では結構アバウトな奴なのにな、と2人は顔を見合わせ苦笑した。

「さて、とっとと仕事を片付けちまおうぜ。その訳ありっぽいヒューマノイドの方が俺は興味あるわ」

そう言いつつ、"スカル"はさっそく車を降りた。もちろん、"Z"も今の話の方が今から関わる仕事より興味がある。続いて車を降り、「現場」に向かって歩き出した。

 

この辺りは、いわゆる高級住宅街というやつらしい。どの家も庭付き一戸建てで、平日の昼間から芝刈りにいそしむ老人の姿などが見られる。引退した人間の終の棲家、といった印象だが、今から訪問するのは、現役世代の某社社長宅と聞いている。

「あ。そういや"Z"、例の先生の件だけど……」

多分、歩き始めて一番最初に目に入った建物が小さな個人病院だったせいだろう、"スカル"がかなり唐突に話を切り出した。正直、あまり触れたくない話題だ。"Z"は軽く眉をしかめた。

「まだ諦めてないのかよ……あれは無理だって言ったのに」

「俺の顔見かける度に、患者ほっぽり出して道に飛び出して来るんだぜ?いくら近所のよしみでも、俺様にだって我慢の限界はあらぁな。勘弁して欲しいぜ、全く」

「知るかよ。カーネルが逝っちまってる上に、基盤自体も一部ショートで飛んじまってるんじゃ、俺にはどうすることも出来ないって。ボディそのものはピンピンしてるから、中身交換するか、新品のロボット買えって言ってやれよ。あんな旧型よりよっぽど高性能なのがいくらでも売ってるだろ」

「その金がないから困ってんだろ。第一、モグリの医者が正々堂々医療ロボなんぞ買えねーし、薬なんかと違ってブローカーもいねーだろうしよ。お前経由なら、ジャンクパーツか何か手に入ると期待してんじゃねーの?」

「……もう病院畳めよ……」

「あれでも腕は確かだぞ。お前さんの顔に傷残らずに済んだのも、一応は先生のおかげ……」

言いかけて、"スカル"の言葉が止まった。と同時に、2人の足も止まった。

車を停めた場所からまっすぐ道を進み、T字路の突き当りを右に曲がった所が、その社長宅―――の筈なのだが、まさにその社長宅と思しき建物の前に、何故かパトカーが停まっていたのだ。しかも、その建物から今まさに出てきたのは、制服姿の警官2名だった。

「……あの家だよな?」

「あ、ああ、旦那から聞いた住所が正しけりゃ、間違いなくあそこだぜ」

指名手配犯でも何でもないが、やはり警官にうろつかれると、なんとなく居心地が悪い。すぐには目的の建物に近づかず、少し離れて様子を見ていると、警官達はまっすぐパトカーに乗り込み、あっけないほどすぐに走り去ってしまった。

一体、なんだったんだ―――困惑したように顔を見合わせた2人だったが、どうやらパトカーがUターンして戻ってくる様子もなさそうなので、予定どおり、社長宅へと向かうことにした。

社長宅は、周りの家に比べると、良く言えばシンプルで飾り気がない、悪く言えば殺風景な家だった。土地だけはやたら広いが、家そのものはあまり大きくなく、庭も花の1本も植えられていない。車も燃費の良さがウリの大衆車が1台置かれているだけだ。質素な生活を好む勤勉な人物なのだろうか。

「あら、あなた達、ウィラーさんのおうちに用なの?」

玄関まであと数歩、というところで、背後から上品そうな女性の声がした。2人同時に振り向くと、そこにいたのは、声同様上品そうな見た目の、白髪の老婦人だった。こういう時は"スカル"が対応するのが暗黙の了承だ。

「はあ、ちょっと社長さんと仕事の話が」

「あらまぁ、今日はやめといたほうがいいんじゃないかしらねぇ。あの人、癇癪持ちだから」

在宅中であろうウィラー氏に聞こえてはまずい、と考えているのか、老婦人は随分とヒソヒソ声でそう忠告した。どうも雲行きが怪しい。"スカル"も、若干声のボリュームを落とした。

「……あの、なんかあったんですかね?さっきパトカー停まってましたけど」

「孫が聞いてきた話じゃ、こちらのお宅のロボットがウィラーさんのことを殴って、逃げたんですって」

「は!?」

"スカル"だけでなく、"Z"も思わず声をあげた。

「あ、あの、それでウィラー氏は?」

「大丈夫ですよ。さっき警官さんに怒鳴ってる声が通りまで聞こえたし」

「一体なんでそんなことに……」

「その辺は私も、ちょっと……。なにせ難しい人ですからね、こちらのご主人て。奥さん亡くなられてからは余計に。奥さん、息子の代わりだ、って言ってあの子を随分可愛がってたから、亡くなった時には、あの子はどうなるんだろう、って私も心配してたんですけどねぇ」

なんだか、嫌な予感がしてきた。更に話を聞こうとする"スカル"を制し、"Z"は老婦人に訊ねた。

「もしかしてそのロボット、人間そっくりな外見のロボットですか」

「ええ、そっくりですよ。亡くなった息子さんにそっくりなんで、近所の人みんなビックリした位」

「亡くなった息子……」

「生きてれば今頃、あなた位にはなってる筈ですけどね。ハイスクールに入る直前に事故死されたから、その頃の姿に似せて作ったんですって」

「……」

―――"ビンゴ"だ。

14、5歳の容姿、マーカーを隠して周囲を気にする様子―――ヒューマノイドの普及率を考えれば、この2点の一致だけで十分だ。今、"ニケ"の所にいるヒューマノイドは、恐らく、ウィラー氏を殴って逃げたというロボットに違いない。

さて、どうしたものか―――"Z"と"スカル"は、この先起こるであろう事を予測しつつ、互いの暗い顔を見合わせた。

 

***

 

「ただいま」

普段と何の変わりもない風を装って店に戻った"ニケ"は、直後、"グラディス"の引きつり笑いを見つけ、思わず吹き出しそうになった。

「砂糖買ってきたよ」

「お、お、お、おかえり」

ナイルの方はそうでもなさそうだが、"グラディス"の方は、カウンターに投げ出された砂糖の袋を見る余裕すらないほど、ガチガチに緊張している。荒くれ者には慣れた"グラディス"も、相手が機械とあっては、いつもの調子が出ないのだろう。

視線を奥の席に向けると、件のアンドロイドは、先ほど"ニケ"が出て行った時と同じ場所に座っていた。テーブルの上にコーヒーカップが1つ見えるので、注文したコーヒーは既に出した後らしい。彼は、そのコーヒーカップを、真剣な表情でじっと見つめていた。

"グラディス"とナイルに「心配するな」と目で合図して、"ニケ"は彼の席へと歩み寄った。幸い、他に客は先ほど来た1組のみで、席は離れている。普通の話し声なら、BGMに紛れるだろう。

「無理に飲まない方がいいよ。壊れるから」

頭上から"ニケ"が声をかけると、彼はびっくりしたように顔を上げ、"ニケ"を見上げた。その表情が、ヒューマノイドだと思ったのは勘違いだったのか、と思うほどに人間的だったので、さすがの"ニケ"もちょっと驚いた。

「あの……」

「手首のそれ。腕上げると上からは見えるから、気をつけて」

その言葉で、自分の正体がバレているのだと察したのだろう、慌てて立ち上がろうとした彼を、"ニケ"は即座に片手で制した。

「ああ、通報する気なんてないから、安心して。ただ、もし液体処理機能がついてないんだったら、最悪、それ飲んだ途端ショート起こして再起動も不可能になっちゃう場合もあるから、心配だっただけ。ま、キミほどの高級品なら、ご主人様のティータイムや晩酌に付き合う位の機能はついてるのかもしれないけど」

「……」

彼は、中腰のまま、暫し"ニケ"の顔を困惑したような顔で見つめていた。が、本当に通報する気はないと悟ったのか、ドサリと腰を下ろした。

「何か事情がありそうだけど、話してみる気、ない?ロボットにはそこそこ詳しいつもりだから、何か力になれるかもしれないし」

彼の前の席に座り、"ニケ"が訊ねると、彼はハッとしたように目を見開き、顔を上げた。

「もしかして―――あなたが、シェリル・リース?」

いきなり、ハイスクール卒業以来一度も呼ばれたことのない名前が出てきて、柄にもなくドキッとしてしまった。一瞬、うろたえた顔をしそうになったが、そこはなんとか抑え、"ニケ"は片眉だけ怪訝そうにしかめた。

「なんで、あたしの本名知ってんの」

「調べたんです。この店にいるってことまでは調べられたけど、でも、画像までは見つからなくて……」

「待って。昨日、ファイルサーバーを攻撃したのって……」

「ハイ。僕です」

あっさり、自白だ。いや、彼からすれば、自白などという感覚はなく、ただ質問に答えただけなのだろう。やっぱり犯人だったか―――"ニケ"は大きく溜息をついた。

「言っとくけど、れっきとした犯罪だよ?」

「……ごめんなさい。どうしてもアイザックとコンタクトを取りたかったんです。それに、スライオーリー社の回収班も来るんじゃ、あなたやヴィンセントに直接話を聞く余裕もないと思って」

―――回収班?

数分前聞いたばかりの単語を再び耳にして、"ニケ"の顔色が変わった。

「まさかとは思うけど、キミのご主人様って、アッパーヒルズに住んでたりする?」

「はい、アッパーヒルズ4の59番です」

「……」

アッパーヒルズは、今日、"Z"と"スカル"が出向いている町だ。まさに大当たり―――彼らが"ルーサー"から調査を命じられたロボットとは、つまりはこの目の前にいるヒューマノイドのことだろう。ロボット、と大雑把に言われたので無意識のうちにロボットらしい容姿のものをイメージしていたが、まさかヒューマノイドだったとは。

「……わかった。簡単な話じゃないっていう覚悟決めたから、まずは名前から聞かせて」

「奥様からはクリスと呼ばれてました」

「OK、クリス。それで、一体どこで、アイザックのことを知ったの?」

「クリニックに"入院"した際、偶然会った、同じく"入院"中だったアンドロイドからです。飽くまで、噂話としてですが」」

クリニック、というのは、修理工場の一部として存在する、ロボットのための病院のようなものだ。ハード的な故障ではなく、学習辞書部分や自己プログラミング領域のトラブルが疑われると、そこに"入院"させられ、分析される。AIにとっては、結構深刻な事態だ。

何故"入院"するような事になったのだろう?という"ニケ"の疑問を、彼も察したのだろう。遡って、事情を説明を始めた。

「僕のオーナーであるウィラー氏には、一人息子のクリスチャン様がいたんですが、彼は今から8年前、14歳で事故死しました。元々病弱だった奥様は、そのショックとストレスで倒れてしまい、4年前にはとうとう、医者から"長くもって5年"と宣告されたそうです。残された時間を穏やかに過ごしたい、と、奥様は旦那様に頼み込んで、クリスチャン様そっくりなヒューマノイドを注文されました。それが、僕なんです」

「……なるほどね。クリスチャン、の略で"クリス"か」

ヒューマノイドが作られる典型例だ。亡くした家族の代わりにしたい、憧れの人そっくりなロボットを傍に置きたい―――そんな需要から、ヒューマノイドは作られる。接客業や看護師としての需要に応えたカスタムメイドなヒューマノイドも存在するが、今もヒューマノイドの大半は受注生産の1点ものだ。

「納品された時、オーナーのウィラー氏からは、奥様の面倒を見ろ、とだけ命じられました。僕には看護に関するひと通りの知識はインプットされているので、面倒を見ろ、とは"看護をしろ"ということだと、最初は思いました。でも、奥様は、看護はしなくていい、ただ息子のように傍にいて欲しい、とおっしゃって、僕がクリスチャン様と似た表情をしたり、かつて彼が話したようなことを話すと、とても喜んでくれました。だから僕は、よりクリスチャン様そっくりになることが、僕に与えられた仕事なんだと認識するようになったんです」

「その豊かな表情も、クリスチャンを"研究"した成果、ってところ?」

「そうかもしれません。生前の彼の映像を何度も分析しましたから。今はこんな喋り方ですが、口調もクリスチャン様を真似てました。奥様を"お母さん"と呼んで、彼の服を着て―――近所の人からも、まるで生前のクリスチャン様が生き返ったみたいだ、と言われるほど、彼になりきれていたと思います」

"Z"曰く、人間と深く関わることを要求されるAIは、人間からポジティブな反応が返ってきた行動を記憶し、よりそうした行動を取るように学習していくのだという。逆にネガティブな反応があれば、これは望まれない行動なのだ、と学習する。そうやって、人間がAIを「育てて」いくことで、AIの個性が生まれる。クリスの場合、奥様が彼の個性を「育てた」訳だ。

「なかなかいいご主人だったみたいじゃない。その様子なら、バグでもない限り、クリニックのご厄介になる必要はなさそうだけど」

"ニケ"が訊ねると、彼は、どう説明していいか迷うような、困ったような顔をした。これもクリスチャンを研究した成果なのだろうか、何とも人間的だ。数秒、言い淀んだ結果、彼は若干言いにくそうに答えた。

「……3ヶ月前、奥様が亡くなられたんです」

それは、予想していた。ここまでの言葉が全て過去形だったから。

「その時まで僕は、本来の僕の主人である筈の旦那様とは、ほとんど関わったことがありませんでした。旦那様は忙しい方で、朝早く家を出て、夜遅く帰ってくるだけだったし、僕と目が合った時に見せる表情が、僕に対して否定的だと理解できたので。でも、奥様がいなくなって、旦那様も僕を無視する訳にもいかなくなったようで―――まず命じられたのが、"クリスチャンの真似をするのはやめろ"、でした」

「それは……でも、無理でしょ」

彼の説明から考えれば、4年かけて、奥様のみを相手に構築したAIの個性だ。オーナーの命令は絶対だが、積み上げられた膨大なメモリを全否定するような命令は、さすがに無理な筈だ。それが出来るようなシステムなら、ちょっとしたことで学習した内容が全部吹っ飛ぶ事故が多発してしまう。

「難しいですが、不可能ではないです。ただ、とても時間がかかるんです。でも、旦那様にとって"時間がかかる"という返答は、言い訳や先送りに聞こえるようです」

「なんか、下請けに文句言う大手企業みたいだね」

「旦那様にとってロボットは、"病気にもならず給料を払う必要も休憩させる必要もない労働力"なんです。経営されている工場でも、人間をどんどん解雇してロボットに置き換えているようです。もちろん、工場のロボットには、僕のようなAIは搭載されていません。でも、旦那様から見れば、同じ"機械"です。だから、僕が人間を真似ることも、自分の考えを述べることも、機械のくせに、と言って腹を立ててしまう……」

そこで言葉を切ると、クリスは、落ち込んだようにうなだれた。

「……お前は機械だから痛みは感じないんだろう、と罵りながら、実際に僕が痛みを訴えなければ腹を立てる。わからない―――どうしてもわからないんです。旦那様が僕に、何を望んでいるのか。それで、次第に旦那様の言葉に対する反応が遅くなるようになって……そんな僕を見て旦那様は、僕をクリニックに"入院"させたんです」

「何それ。自分がおかしくなる原因作ったっていう自覚もない訳?」

「スライオーリー社に対して"こっちは欠陥品を掴まされた被害者だ"と訴えていたので、おかしくなったのではなく元々壊れていたと考えているようです。結局、問題点は見つからず、2日で退院になったんですが、クリニックに入れたのに直っていない、直らなかったのに入院費を支払う義務はない、と主張され、現時点でも入院費は支払っていません」

―――頭おかしいんじゃないの、そのおっさん。

クレイマーの話などうんざりするほど耳にするが、彼のオーナーは、その中でもトップレベルのクレイジーさだ。そんな狂った奴の相手をしていたら、クリスがおかしくなるのも無理はない。

「じゃあ、何、スライオーリー社が躍起になってクリスを回収しようとしてるのは、その支払トラブルが原因?」

「いいえ。詳しい理由は僕も知りませんが、僕が旦那様に危害を及ぼす恐れがある、と社は言っていたようです」

「え?でも、三原則があるでしょ」

かつてSF小説で唱えられが「ロボット三原則」―――人間に危害を加えてはならない、主人の命令に服従しなくてはならない、己の身を守らなくてはならない。多くのAIのマスター領域に書き込まれている命令の1つだ。

AIは、演算結果を実際に行動に移す前に、必ずマスター領域を参照し、そこにある命令に反していないか、矛盾は生じていないか、等々をチェックする。もし矛盾や違反があれば、その時点で行動はキャンセルされ、再び演算に戻る。つまりAIは、マスター領域の命令に逆らった行動は、実行しようとしても実行できないのだ。

「そりゃ戦闘用AIもあるし、主人を守るために襲ってきた人間を攻撃することもあるだろうけど、主人に危害を加える命令なんて、さすがにキャンセルさせるでしょ」

「……」

―――あれ?

当然、という口調で言ったつもりだったが、クリスは何故か、気まずそうに俯いた。いや、そこは黙りこむような場面じゃないんだけど―――なんとも嫌な予感が、背中の辺りを這い上がってくる感じがした。

「……もしかして、何かあった?」

"ニケ"に促され、クリスはほんの少し、顔を上げた。相手の表情を読み取ろうとするための既定行動だが、そんな仕草も叱られた子供が親の顔色を窺っているように見えてしまう。

「命令、されたんです」

「え?」

「"どうせスライオーリーは、欠陥部分を見落としたことを認めたくないんだろう。自分達のミスを隠すために、機械に感情や自由意志が宿ったかのような妄言を吐くとは笑わせる。そんな奇跡が本当に起きたって言うのなら、面白い、お前、これで私を殴ってみせろ”―――そう言って、僕に、その場にあったワインボトルを差し出されたんです」

そう言うと、クリスはうなだれ、消え入りそうな小さな声で、告白した。

「……僕自身、信じられませんでした。まさか……本当に殴ってしまうなんて……」

「……」

―――ジーザス……。

今、この瞬間、"Z"達が巻き込まれているであろうゴタゴタを想像すると、頭痛がしてくる。ぐったりと椅子に深く沈み込んだ"ニケ"は、痛む頭を押さえた。

「……で?」

「旦那様が気絶してしまったので、急いで必要な処置を施しました」

「ああ、看護の知識がデフォルトで入ってるんだっけ……」

「もしスライオーリー社がこのことを知れば、僕は間違いなく熔解処分です。もちろん、僕は人間じゃないから、恐怖心はありません。でも、熔解される前に、知りたいんです。自分に何が起きたか。だから、アイザックに会いたかった―――もし噂が本当なら、彼ならわかるかもしれないから……」

うなだれていたクリスは、そう言うと、僅かに顔を上げ、"ニケ"の目を真っ直ぐ見つめた。

「アイザックが、その……大きな罪を犯した、という噂は、本当なんですか?」

「……」

恐らく、その罪状も聞き及んでいるだろうに、あえてそこをぼかした訊き方をするのは、この件が門外不出のトップシークレットであることに配慮してくれているからだろう。当然、"ニケ"はこの質問に、イエスとは言えない。だが、ノーと言わないことは、半ば肯定しているようなものだ。"ニケ"は唇を引き結び、無言のうちに回答する道を選んだ。

「もし本当なら、教えて下さい。何故、彼は……僕は、AIにとっては神に等しい領域に逆らうことが出来たのか」

―――何故か、なんて……わかる訳ないよ。

疲れたような笑みが、"ニケ"の口元に浮かんだ。

"ニケ"自身、あれから数年間、常にこの問いと向き合ってきた。でも、未だに答えが見つからない。見つからなくて当然だ。"Z"はずっと前から―――それこそ"ニケ"と出会うより前から、この疑問と向き合ってきた。それでもまだ、真相に辿り着けていないのだ。そんな深い謎に、自分などが太刀打ちできる訳がない。

「……わからない。あたしだけじゃない、誰にもまだ、わからないことなの。ただ、"Z"は……ヴィンセントは言ってた。神に等しい領域を超えて起きたことは、その原因がどこにあろうと、それは自然の摂理だ、って」

「自然の摂理?」

「そう。古い言い回しをするなら、神のご意志、ってやつかな」

自分には随分と不似合いな言い回しだ、と、"ニケ"は内心苦笑した。でも、他に例えようがない。神も仏も信じる気はないが、人智の及ばない「何か」によって世界が動くことは、ままあることだと思うから。

「もし本当にそうなら、たかが人間やAI如きがあがいたところで、どうにもならないよ。理由を考えるより、生き残るために今何をすべきか考えないと。あたし達だって、こうして頼って来られた以上、みすみす見殺しにはできないしね」

「……まるで、僕を生き物みたいに言うんですね」

「有機物の結合体って意味では、生き物もロボットも大した違いはないじゃない」

"ニケ"がそう言うと、クリスはポカンとした顔になり、それから可笑しそうに吹き出した。この自然すぎる反応も、クリスチャンを研究した成果なのだろうか―――だとしたら、まさに、奇跡に近い「育ち方」だ。

「じゃあ、生き残るための作戦でも練りますか―――まずは、こっち来て」

「え?」

戸惑うクリスをよそに、"ニケ"はそう言って立ち上がると、クリスの手を掴み、ニッ、と笑った。

 

***

 

「回収なんぞ言語道断だ」

頭に包帯をぐるぐる巻きにしたウィラー氏は、忌々しそうにそう吐き捨てた。

スライオーリー社の回収班は、2人がウィラー家に到着する30分ほど前に電話をしてきたらしいが、クリスがウィラー氏を殴って逃げたと聞いて、ろくに話もせず電話を切ってしまったそうだ。当前だ。メーカーからすれば、もはや呑気にウィラー氏を説得している場合ではないだろう。

第三者の自分達がいきなり訪問しても、話など聞かせてもらえないんじゃないか、と"Z"は危ぶんでいたのだが、スライオーリー社の不審な動きを察知したので調査に来た、と"スカル"が説明すると、ウィラー氏は驚くほどあっさり事情を話してくれた。その位、これまでのやりとりの中で、スライオーリー社に対する不信感が大きくなってしまっているようだ。

「もしクリスが逃げなくても、今日のあいつらの訪問は断るつもりだった。そもそも1回も訪問許可など出してないのに、何が"今から伺います"だ」

「でも、実際、スライオーリーが心配していた通り、そうやって殴られた訳でしょう?回収してもらった方がいいんじゃ……」

"スカル"がそう言うと、ウィラー氏はますます眉間に皺を寄せ、顔を紅潮させた。

「だったら欠陥品だと認めて、きっちり修理して返却するか、全く同じものと交換するのが筋だろう!奴ら、回収したら、使用年数を考慮した上で一部代金を返金する、と言ってるんだぞ!なんで被害者の私が損を被らんといけないんだ!」

「……はあ」

気の抜けたような相槌を打ちつつ、"スカル"はウンザリという目で"Z"の方をチラリと見やった。もちろん、"Z"もウンザリだ。

正直、説明の冒頭辺りから既に、"Z"はこの傍若無人なクレーマーに何か言うことをほぼ諦めている。彼は、本当ならばAIのオーナーになってはいけない類の人間だ。ロボットは機械であり、説明とは異なる動きをした場合は全部「故障」か「欠陥」だ、で思考停止しているのだ。おまけに、「相手の義務」と「自分の権利」が大好きで、あらゆるものを金銭に換算しないと気がすまないときている。最悪だ。

「おい、そっちの人」

それまで"スカル"を相手に話しているようなものだったウィラー氏が、突如、"Z"の方に話しかけてきた。ご指名があったのでは、無視する訳にもいかない。"Z"は仕方なく「はい、なんでしょう」という風に、話を聞く姿勢を見せた。

「さっき、ロボットの中身をメンテナンスする仕事をしてると言ってたな」

「ええ、まあ」

「だったら、奴らがどうしても交換か修理に応じなかったら、あんたがクリスを修理してくれないか」

「は?」

思い切り、何言ってんだこの親父、という声色になってしまった。冗談ではない、この男は、事態をさっぱり理解していないらしい。"Z"は、組んでいた脚を下ろし、半ば睨むようにして目の前のウィラー氏を見据えた。

「クリスは、あなたを殴ったんですよ。その意味、わかってますか」

「わかってるも何も、だから故障か欠陥だと言ってるだろうが」

「そうじゃなく、自分の主人に危害を加えた、って意味をわかってるのか、ってことですよ。ヒューマノイドのオーナーなら、アルファベットのABC並みの基本中の基本の筈だ。ましてやあなたは、工場で大量にロボットを使ってるほどの"愛好家"なんだから、わかって当然なんですがね」

隣で"スカル"が「おい」と小声で制した。が、ここまで無言のまま怒りを蓄積し続けた分、ブレーキが効かなかった。

「ロボット三原則に違反した命令が実行されるなんて、"あり得ない"―――それを貫くために、"あり得ない"演算を行ったAIは、徹底調査されて、原因が特定されなければ問答無用で処分するのが通例になってます。クリスは、無抵抗の人間、しかも自分の主人に危害を加えて怪我を負わせている。ロボット業界的には完全にアウト、熔解処分対象です。もちろん、AIだけじゃなくボディもね」

「そ……そんな馬鹿な話があるかっ!あんた、あいつを作るのにいくらかかったかわかってるのか!?」

「だったら裁判でも何でも、ご自由に。クリスの記憶領域っていう動かぬ証拠物もあるし、審議は簡単な筈ですよ。命じられた通り4年も奥さんに付き添ったクリスを"欠陥品"だというあなたの主張や、AIの基礎知識すらないのに不用意に"殴ってみろ"と挑発した行為、裁判官や陪審員の賛同が得られるかどうか、こっちとしても実に楽しみだ」

ゆでダコのように真っ赤な顔をしたウィラー氏が、何事か反論しようとしている口の形のまま、硬直した。そのまま数秒、瞬間冷凍でもされたかのように固まったままだったが、やがて顔を歪め、口を閉じた。

ウィラー氏のトーンダウンは、"スカル"の目にも明らかだったのだろう。ああやってるやってる、という目で"Z"の皮肉を聞いていた彼は、ここが口の挟み時、とばかりに口を開いた。

「……ってか、ウィラーさん。仮にクリスが熔解処分を免れたとして、その後はどうするつもりなんです?話聞いてる限りじゃ、クリスが戻って来たところで、何の仕事もなさそうですけど」

「当然だ。私には最初からロボットなど要らなかった。私の手元に置いていても、せっかくの高い買い物が無駄になるばかりだ」

バツが悪そうにしつつも、ウィラー氏はそう答え、頭に巻かれた包帯を無意識のうちに押さえた。

「ただ、あいつには看護の知識がある。こうやって怪我の治療もまともにやってるところを見ると、その部分は今もまともに機能しているらしい。だから、看護の必要な家に貸出でもしようかと思って、世間の相場やら何やらを調べてる最中だったんだ」

「……要するに、新しい商売に必要な道具だから、回収なんかされてたまるか、ってことかよ」

心底、吐き気がする。仕事用の言葉遣いも忘れて"Z"が低く呟くと、ウィラー氏はむっとしたように眉をつり上げた。

「ビジネスとして当然なことをしていただけだ。だが、ここ数日で、少々予定が変わった。まだクリスには話してないが、フランスに住んでる妻の両親が、もしクリスに仕事がないんだったら自分達がクリスを引き取りたい、と言い出したんだ」

それは、悪くない話だ。"Z"も険しい表情をほんの少しだけ和らげた。

「まだ2人とも元気だが、介護が必要な年になればどのみち介護ロボットを買うかレンタルするかしなきゃならんだろう。どうせなら孫そっくりなロボットがいいんだそうだ。まあ、赤の他人ならお断りだが、仮にも義理の両親だからな。無償レンタルでも、私の損にはならんだろう」

「ああ……やっぱりレンタルなんすね」

"スカル"が疲れたようにツッコミを入れたが、ウィラー氏は「当然だ」とでも言うように胸を張った。

「私が購入したものは、私の財産だ。財産をタダで手放す馬鹿がどこにいる」

「……ごもっともです」

まあ、どのみち、オーナーチェンジをするなら例のごとく、マスター領域の交換が必要になる。老夫婦に負担できるような金額かどうか怪しいし、そんな金をこのケチ親父が出す訳がないだろう。無償レンタルという名の永久貸出状態は、無難な線だ。ただし、クリスが何の問題もない普通のAIならば、だ。

「とにかく、そういう訳だから、あいつを鉄くずに熔かすなんて話は、絶対に認められん。問題があるというなら直して、直せないというなら全く同じものに交換するのが、メーカーとしての誠意ってやつだろうが。あんた、連中と交渉して、きっちり責任を取らせてくれ」

「なんで俺が」

「その道のプロなんだろう?あの連中、私を素人と馬鹿にしてかかっていて、全く埒が明かん。あんたなら専門知識もあるだろうから、交渉のしようがあるだろう」

「……」

「もちろん、それなりの費用は払う。本来無関係の人間に、タダで動けと言うほど、非常識じゃあない」

既に散々な非常識ぶりを見せつけられているので、今更そう言われても「はいそうですね」とは言いかねる。が、しかし―――今、ここで「そんなこと知るか、勝手にやりな」と突き放したら、想像できる結末はどれも後味の悪いものばかりなのも確かだ。

「……俺が全力で交渉した結果なら、どういう結論になっても受け入れる、と約束できますか」

「そんな訳にはいかん。こっちはクリスチャンと瓜二つのロボットが必要なんだ。中身が多少どうなってようが構わんが、外見がまるで別物になってたんじゃあ意味がない」

「でも、スライオーリーは"諦めてくれ"と言うかもしれない。オーダーメイドの1点もので、しかも4年も何一つ問題なく動いていたものを、無料で新品に交換できる訳がない。かといって、ハードにもソフトにも異常が見られない以上、修理することも不可能だ。もしクリスがあなたの会社の製品だったら、また同じトラブルを起こす危険性を無視して、客の手元に置いておけますか」

クレーマーのウィラー氏も、1人の会社経営者だ。逆の立場になった時のことを冷静に考えれば、自分の主張が通らない可能性が高いと認めざるをえなかったのだろう。怒ったような、しかし少し気まずそうな表情のまま、黙りこんでしまった。そうして数秒の沈黙の後、苛立ったようにバン!とテーブルを叩いた。

「畜生……!だから反対したんだ、クリスチャンそっくりのロボットなんて……!」

「は?」

何を今更、と"Z"と"スカル"は目を丸くした。が、ウィラー氏は止まらなかった。

「クリスチャンと同じ顔をしている、ただそれだけで、誰も彼もがあいつにクリスチャンを重ねる―――クリスチャンな訳がないのに。表面をはがせば、中身はうちの工場のロボットと大差ないのに。……息子は、死んだんだ。妻も死んだ。いくら姿を真似ようが、死んだ人間が生き返る訳じゃないのに、なんでそっくりなロボットなんぞ欲しがるんだ……!あれはクリスチャンじゃない、ただの機械だ。ただの機械なら、人間に似せなくてもいいじゃないか。ただの鉄のボディであってくれれば、こんな……」

―――なるほど……。

初めて、見えた気がした。目の前にいるこの短気な中年男の、本当の「憤り」が。

多分、彼の言葉に、嘘や強がりはないだろう。彼はロボットをただの機械としか思えない。どんなに姿がそっくりでも、クリスを失った息子代わりにすることは出来ないタイプの人間だ。だから、周囲がクリスを息子同様に扱えば扱うほど、彼はクリスに苛立ちを覚える。彼にとっての息子は、他界した本物のクリスチャンだけだから、それ以外のものが息子のフリをするのが許せないのだ。

しかし、本当にそれだけであれば、こんなゴネ方にはならなかった筈だ。回収されたクリスがスクラップになろうが溶鉱炉に投げ込まれようが、同じ能力を持つ、よりロボットらしい外見のロボットが代わりに手に入れば万々歳、と言う方がまだ理屈が通る。ところが彼は、一貫してクリスの外見にこだわっている。義父母の希望だから、というのもあるだろうが、それにしても不自然だ。

クリスの見た目を憎みながら、クリスの見た目を維持することにこだわる、その本当の理由―――彼には、その中身が何であっても、死んだ息子と同じ顔をしたものが再び「死ぬ」のが、耐えられないのだ。お前はクリスチャンじゃない、と言ってクリスを叩きながら、クリスチャンの顔をしたものを失うことに怯えているのだ。

全く、人間ってやつは―――つくづく、思い知らされる。人間というのは、呆れるほど複雑で矛盾した生き物だ、と。憤りに震えるウィラー氏を眺めつつ、"Z"は大きな溜息をついた。

「……最悪でも、ボディは残すよう、努力してみます」

溜息と一緒に"Z"がそう切り出すと、ウィラー氏は顔を上げ、怪訝そうな顔をした。

「もちろん、記憶領域のフォーマット程度で済めば一番いいですが、主人に自ら怪我を負わせたとあってはかなり厳しい。熔解処分は避けられない可能性が高い―――でも、もしそうなっても、AIや記憶領域の熔解のみにして、ボディだけは残すよう説得はしてみます」

「……可能性は、あるのか?」

「話の持って行き方次第では」

「クリスが完全熔解処分にならずに済んだ場合、使える状態にするための修理費用は、当事者同士で話し合って下さいよ。さすがにそこまで面倒見る義理、俺達にはないんで」

最後に"スカル"がそう念を押した。もちろんウィラー氏への念押しだが、ロボットが絡むとすぐ金銭のことが頭から抜け落ちてしまう"Z"に釘を刺す意味もあるのだろう。さすがだな、と"Z"は僅かに苦笑いを浮かべた。

 

***

 

ウィラー氏からひと通りの同意を得、彼の家を後にしたところでモバイルを確認すると、"ニケ"からメッセージが届いていた。音声ファイル付きで、どうやら件のヒューマノイドとのやりとりを録音したもののようだった。

車へ戻る道すがら、音声ファイルを"スカル"にも渡してそれぞれ確認したが、内容は2人がウィラー氏から聞いたものと多くで一致していた。ただ、奥様と呼ばれているウィラー氏の妻に関しては、ウィラー氏から聞いていたよりクリスとの関係がより深いものらしいと感じた。これは―――もしかしたら、クリスの異常行動の原因を説明できるかもしれない。もちろん、証明はかなり難しいが。

「"ルーサー"の旦那が、絶対"ニケ"を連れて行くな、って言ったのも頷けるぜ……あれは"ニケ"に会わせたらヤバイ」

車に乗り込みつつ、やれやれ、という口調で"スカル"がボヤいた。ウィラー氏との話し合いで、相当疲れてしまったようだ。

「確かに、あの場に"ニケ"がいたら、ウィラー氏を2、3発ぶん殴ってた可能性は高いな」

「お前も似たようなもんだろ。いつ立ち上がって掴みかかるか、こっちは気が気じゃなかったぞ」

コツン、と軽く頭に拳をぶつけられた。まあ、否定はしない。"Z"も殴りかかる寸前まで何度か行きかけた。それを実行しなかったのは"スカル"もいたからだ。何故"ルーサー"が"スカル"を同行させたのか、その理由がなんとなくわかる。

「店までどの位かかる?」

「渋滞やら工事やら避けて最短距離を飛ばしてくけど、それでも1時間半だな。行きみたいな快適なドライブは無理だから、覚悟しとけよ」

言うが早いか、"スカル"はアクセルべた踏み状態で車をスタートさせた。勢い、"Z"の体もガクンと傾き、危うくダッシュボードに突っ込みそうになった。

―――ほんと、ドライビングテクは確かなんだけど、同乗者には厳しいよなぁ、こいつの運転……。

毎回、1回はこれを体験している気がしてならない。でもまあ、今は一刻も早く店に到着し、回収班より早くクリス本人に会うことが優先だ。

「ったく、"ルーサー"が情報の出し惜しみさえしなけりゃ、前もっていくらでも手が打てたのに……」

体勢を立て直すと、"Z"はそう愚痴りつつ、ジャケットの内ポケットから愛用のグラスPCを取り出した。それを横目で見て、"スカル"が「冗談だろ」という顔をした。

「おい、まさか今から回収班をハックする気か?」

「まさか。こいつは、連中がクリスの何を隠そうとしてるか探るためだ」

「って言うと?」

「考えてもみろよ。連中が回収回収と騒いでたのは、クリスがウィラー氏をぶん殴るより前だ。つまり、人間に危害を加えたことが理由の回収騒動じゃない。そもそも、なんで"回収"なんだ?たとえクリニック側で何らかの見落としがあったんだとしても、それなら"再入院"で済む話だろ」

「……そりゃそうだな。回収されたら同じモノが手元に戻ってこねーからこそ、あのおっさんも断固拒否してる訳だし」

「それに、クリスがアイザックのことを聞いたのが、"入院"中の別のアンドロイドから、って点も気になる。そりゃ知ってる人間もそこそこの人数いるけど、一般報道はされてない事件だぜ?何かある―――あるとしたら、クリスが"入院"してた、2日間だ」

そう言いながら、"Z"はモバイルを手に取り、コールバックのボタンを押した。

そろそろ連絡が入る頃合いだと予想していたのか、"ニケ"は1コール鳴りきらないうちに電話に出た。モバイルのスクリーンに映った背景は店のカウンター付近で、クリスらしき姿は見当たらなかった。スクリーン端でチラチラ見え隠れしている白い服は、多分"グラディス"だろう。

『もしもし』

「俺。今、話し合いが終わって、そっち向かってるとこ」

『お疲れ。てことは、ウィラー氏の怪我は深刻じゃなさそうだね。どうだった?話し合いは』

「お前じゃなくても流血沙汰になりそうなレベル」

『あははははは、"スカル"が一緒で良かったね。いっそあたしの代わりに1発殴ってくればよかったのに。もし警察にご厄介になったら、喜んで脱獄手伝うよ』

「アホ、お前が言うと洒落にならねーっつーの」

会話を聞いていた"スカル"が、呆れたように口を挟んだ。"スカル"の声は聞こえても姿までは向こうには見えない筈だが、"ニケ"は口をへの字に曲げ、スクリーンに向かって立てた親指をグイと下に向けた。恐らく、自分よりもっと洒落にならない"スカル"から突っ込まれたことに対する、抗議の意味なのだろう。

『ま、それは冗談として……クリスは今後、どうなりそう?』

「まず、殴って逃げた件については、心配無用。出社してこないんで様子見に来た社員がパニクって警官呼んだけど、内輪の話に余計な首を突っ込むな、ってウィラー氏が追い返したらしい。スライオーリーの回収には応じないとさ。亡くなった奥さんの両親にクリスを無償レンタルする予定があるそうだ」

『……それ、ほんと?』

"ニケ"にしては珍しい位、露骨に驚いたような声色だ。まあ、当然と言えば当然だ。"Z"だって、ウィラー氏の人間的な弱さを見せられるまでは、彼には人間らしい温かみなど微塵もないと感じていた。クリスからしか話を聞いていない"ニケ"は余計にそうだろう。

「ああ、間違いない。だから、最悪でもボディは死守する必要がある。そのためには、スライオーリーがクリスを見つけるまでに、できるだけこっちに有利な情報をクリスから集めておきたい」

『はーん……わかった。あたしの端末経由で大丈夫?必要とあれば家のPCまで連れてくけど』

「いや。店の中にいてくれた方が都合がいい。人の目がある所では、回収班も派手なこと出来ないしな」

『了解。3分で準備するから、頃合見てアクセスして』

詳細を説明せずとも、"Z"が何をするつもりかわかっているのだろう。"ニケ"はそう言うと、早くも電話を切った。

「ほうほう、相変わらずの以心伝心ぶりで」

からかう"スカル"を軽く睨み、"Z"はさっきの仕返しも兼ねて彼の頭を拳で小突いた。

「この程度の意思疎通もできないようなら、"運命共同体"なんかやってねーよ」

「はいはい。まあ俺もちょっとは想像ついてるぜ。要するにクリス本人を乗っ取るんだろ?」

「そういうこと。時間は有効に使わないとな」

移動中、ただぼーっとしているのではもったいない。"ニケ"との間では、普段から互いにリモートアクセスする環境が整っている。クリスを"ニケ"の端末に接続さえすれば、容易に"Z"側から遠隔操作が可能、という訳だ。もちろん違法だが、かなりの無理難題を押し付けられている以上、背に腹は変えられない。

「てことは、マスターやナイルは、今からちょっとしたホラー体験をする訳か……。さすがの俺も初見の時は引いたよなぁ、あれは」

「ああ、接続端子のパネルか。そんなにグロいか?時計の電池交換する時に蓋開けるのと同じだろ」

「お前は慣れすぎて感覚がおかしくなってんだよ。いくら血も肉も出ないからって、人間の腕やら背中やらの皮膚がパカッと四角く開いたら、普通の神経の持ち主なら絶叫して当然だぞ」

「……まあ、"ニケ"が何とかするだろ」

目の前で繰り広げられるホラー展開に、客が悲鳴を上げて店を飛び出す様子が、一瞬頭に浮かんだ。が、"ニケ"は"Z"ほど感覚がおかしくなっていないし、何だかんだで気が回る奴だ。騒ぎにならないよう、何らかの工夫はするだろう……いや、して欲しい。

「しっかし―――わかんねぇな。なんでヒューマノイドなんてもんを作るんだか。同じ顔してりゃ、偽物でも心が慰められるもんなのかねぇ……」

通信準備をする"Z"を横目で見つつ、"スカル"が溜息混じりにそんなことを言い出した。

「さあね。人によるんじゃない」

「俺なら嫌だね。俺じゃないモノが、俺の顔して、親兄弟から俺の名前で呼ばれるなんてよ」

それは、ちょっと意外な意見だ。"Z"は、かけていたグラスPCをずらして、運転席の方を見た。

「面白いな。まさか、死んだ人間側の視点に立った意見が出てくるとは思わなかった」

「えっ」

「だって、もし自分だったら、って考えるなら、残された家族視点の話になるのが自然だろ?死んだ後の出来事に、死んだ人間本人が立ち会える訳ないし」

"Z"の指摘に、"スカル"は珍しく動揺した表情をした。しまった、突っ込んだらまずいネタだったか―――慌てて適当な話題に切り替えようかと焦ったが、直後、"スカル"は"Z"の方をちょっと見、なんとも形容し難い苦笑いを浮かべた。

「あー……、そうとも限らねぇぜ?死んだことに気づかないで、死んだ後もこれまでどおりに暮らしてる奴だって、世界のどこかにいたりするんじゃねーか?」

「……」

「でもって、ある日、故郷に帰ってみたら、自分の墓とご対面、てなことも……まあ、あるかもしれねぇぜ」

―――なるほどね。

もちろん、言葉通りの意味ではないだろう。だが、薄ぼんやりと、"スカル"の過去が透けて見える気がする。どういった経緯だったのか、その後家族とはどうなったのか―――愉快な話なら、とっくに"スカル"の方から話している筈だ。つまりは、それだけ話したくない、どす黒い記憶なのだろう。

それにしても、むしろ"スカル"の方が"Z"の過去、特に家族の消息については前から気にしていたのに、随分と重要そうな話を聞いてしまったものだ。本人が口を滑らせたこととはいえ、このままでは少々フェアではない気がした。

「確かに、そういう立場なら、自分に瓜二つのロボットと暮らしてる家族なんて、見たくないだろうな」

そう言うと、"Z"は再びグラスPCをかけ、飽くまで「ついで」という風に付け加えた。

「まあ、もう家族のいない人間にとっちゃ、見たくても見れない光景だけど」

「……あー、ええと、その……」

隣から向けられた視線が、さっきの自分同様、焦っているのがわかる。"Z"は、何か言おうとする"スカル"を安心させるように、クスッと笑った。

「もちろん、見れたとしても、俺だってゴメンだよ」

その口調で、決して妬みや僻みで言ったのではないとわかったのだろう。"スカル"の表情が、少し安堵したように緩んだ。

「だったら、逆はどうよ?例の"奥様"以上にAIの扱いが上手いお前なら、レプリカ作って楽しくやれんじゃねーの?」

「いや、どうだかなぁ……たとえ瓜二つに作られても、俺自身の記憶が曖昧になってるし」

「ほんとかよ。俺も相当長いこと故郷を離れてるけど、忘れたい顔までくっきり覚えてるぜ」

「子供だったからな。この歳で人生の半分以上が1人だと、さすがにね」

前方にカーブが迫ってきているのでさすがにこちらを見はしなかったが、"スカル"の横顔がどんよりと沈んだ表情になった。その露骨な変わり様に、思わず吹き出してしまった。

「そういう顔するから、言いたくなかったんだよ」

「しょーがねぇだろ、ガキには弱いんだからよっ」

「おっと、来たみたいだな」

ちょうどそこで、タイミングよく、クリスへのアクセスが完了したようだ。目の前に、クリスの内部データと思しきインデックス画面が一気に広がった。

「雑談終了。作業始めるぞ」

「はいよ。暫くは通信環境悪くねー道だと思うから、今のうちにガンガン進めろよ」

幸い、"スカル"もそれ以上踏み込んだ話をする気も聞く気もなさそうだ。多分"Z"と同じで、これ以上のことを聞いてしまったらフェアではない、と思ったのかもしれない。同等の傷を晒す覚悟なく相手の傷に触れるべからず、だ。大きく深呼吸をすると、"Z"はつかの間の思い出話を頭から払い落とし、作業に集中することにした。

 

―――こりゃ幸先がいいな。俺が好きなタイプのインターフェースだ。

目の前に広がった集積データのインデックスは、互いに関連付けられ、さながら蜘蛛の巣のように複雑怪奇な模様を織り成していた。時折見かけるタイプのインターフェースだが、クリスが製造された当時は、発表されて間もなかった、最新のシステムだった筈だ。ウィラー氏がやたらクリスの値段についてくどくど言っていたが、実際、オーダーメイドのヒューマノイドの中でもかなり高額な部類に入りそうだ。

―――へー、さすが、"クリスチャン"や"奥様"は、ブランチ多すぎて周りが光って見えるな……それに比べて、オーナーの"ウィラー氏"のブランチは酷いもんだ。最優先すべき相手がこの有り様とは、AI自体の成熟度に比べてアンバランスすぎる。人間なら心の病になりかねないぞ。

ざっと全体を眺め、目立つキーワードを順に追っていた"Z"だったが、その中にある単語を見つけ、心臓が一瞬、ドクン、といって止まった気がした。

"アイザック"―――珍しくもない名前だが、この場合、間違いなくあのアイザックのことだろう。その存在を知ってから間もない割に、随分と重要度の高い位置に配置されているワードだ。クリスがどれほど彼に関心を持っているかが窺える。

他の重要そうなワードを無視して、思わず"アイザック"というワードを選択してしまったのは、完全に"Z"の「私情」だろう。俺もまだまだ修行が足りないな、と自らの迂闊さに舌打ちしたが、"アイザック"を起点に伸びる数本のブランチを確認し、その中の1つに目が止まった。

「……"UNKNOWN(正体不明) -T382"……」

"アイザック"から伸びた、1本の枝―――この"UNKNOWN"というワードは、AIにとっては特別な意味がある。初めて目にするもの、初めて関わる人間、動物、ロボット、等々、静物・動物の別なく、このワードとナンバーがつけられ、正体が判明した時点でそれまでのメモリー全てが判明したワードに置き換わる。要するに正体が判明するまでの仮称だ。

その仮称が、どんな単語にも置き換えられないまま、まだ残っている―――つまり、クリスの中では正体不明のままのものがある、ということだ。しかも、アイザック絡みで。

試しに"UNKNOWN-T382"を選んでみたところ、そこからは大してブランチは伸びておらず、関連データとしては映像データが1つ残されているだけだった。"クリニック"や"アイザック"とも共有しているデータであることから、入院中にアイザックについて話したアンドロイド関連の映像の可能性が高そうだ。

ちょうど腑に落ちないと思っていたところだ。スライオーリー社の弱みを握る目的とは直結していないかもしれないが、こちらを優先してもバチは当たらないだろう。"Z"は、関連付けられた映像データを開いてみた。

 

映像は、いきなり眼鏡をかけた女のどアップから始まっていた。

普段使っているモニターなら問題ないが、さすがにグラスPCで目の前に人の顔を大映しされるとギョッとする。が、幸い、どアップは2秒ほどで済んだ。女には"Lucy"という名前とIDが重ねて表示されていた。どうやら数分毎に保存される映像データの切れ目だったようで、彼女はそのままクリスから離れてしまい、彼女とのやり取りはさっぱりわからないままだった。クリスが彼女の名前を認識している、ということは、恐らく彼女はクリニックの担当スタッフなのだろう。

クリスがいるのは、人間の病院でいうところの待合室のようなところらしい。クリニックと言っても単に修理工場の一部門に過ぎないので、要は修理受付コーナーだ。受付そのものは画面奥の左にあり、1台のロボットとオーナーらしき人間が何やら受付の人間と揉めている様子だった。それ以外は、長椅子に座っている人間1人とロボット2台だけで、どれもクリスに背を向ける形でかなり離れた場所に座っていた。

2分ほど、変わりばえのない映像が続く。スピーカーをオフにしているのでわからないが、どうやら受付と客のトラブルが結構大きな声で行われているらしく、後ろ姿のみ映る受付待ちの客も、そちらに気を取られている様子だ。"Z"もつい彼らに気を取られていたところ、突如、クリスの視界が、グルリと回った。

それまで背後にあったと思われる、クリニックの入り口方面が、視界に映った。恐らく、誰かに声をかけられ、振り返ったのだろう。だが、そこに人影はなかった。クリス自身も、声の主を探して左右を確認しているようだ。映像が、忙しなくぶれる。そして、やっと声の主らしき姿を視界に捉えた。

その瞬間―――全身に、凍りつくような衝撃が走った。

「!!」

思わず、車の助手席であることも忘れて、後ずさる。ドアに体をぶつけた鈍い音に気づいて、運転席の"スカル"が一瞬視線をこちらに向けるのを感じた。

「どうした?何かとんでもないデータでも見つかったか」

"スカル"の声色で、自分がどれだけ狼狽した様子だったかが窺える。映像を一時停止し、止まっていた息を吐き出したが、乾いた喉が貼り付いて上手く声が出てこなかった。

 

人の背骨のような形状をした胴体、極端に小さな頭部、大きな赤い「目」……間違いようがない。あの後、既存のアンドロイドモデルを片っ端から調べて、類似モデルすら存在しないと確認したのだから、他人の空似の訳がない。

「……あいつだ」

それは間違いなく、この前、ブロンディを救出した時に対峙した、あの正体不明の"リライト"そのものだった。

 

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